400mの歴史

来ならば陸上競技の歴史から述べさせてもらう所なんだけど,
あくまで400mの歴史についてなので,省略。

文ばっかりでつまらないですが、写真の入れようもないので、ご了承のほどを。


19世紀までは,陸上競技界でもまだマイル・ヤードでの距離の表示が主流だった。
というのは,陸上競技は古くは欧米で盛んだったので,マイル・ヤード表示だった。
400mという種目はなく,440ヤード(402.16m)や,4分の1マイルが主流だった。

古い記録としては1881年にアメリカのL・メイヤーズの48秒6があったそうだ。
また,第2回パリオリンピック優勝者のアメリカのM・ロングは1900年,47秒8の
当時としては脅威の世界記録を打ち立てたそうだ。(オリンピックは49秒4で優勝)

第1回アテネオリンピック(1896年)の400mは、1周400mのグランドを
使ったのだが,変則的なグラウンド(直線が長く,カーブの距離が少ない)で,
コーナーが非常に急だった。逆に第2回パリ大会、第4回ロンドン大会は
1周500mのグランドを使っていた為、思わぬ記録も出た。
なぜ500mトラックを使っていたかというと,陸上競技発祥の地を自負する
イギリスでは,メートル制を拒んで,1周が3分の1マイル(536m)のトラックを
作ってしまったと言う訳である。が、1920年代に入る頃には,
1周400mのトラックは定着し始め,さらに1956年以降は
カーブが有利になる為,1周400m以外のトラックは公認されなくなった。

1920年頃,まだ世界記録が47〜48秒だった時代の陸上競技の解説書には,
400mという種目は,800m,1500mと共に中距離として紹介されてた。
これは,人間の無酸素運動の限界が30秒程度という研究結果があり人間は
無酸素ではやはり30秒程度でしか走れない。すると,400mを走ろうとすると,
前半を抑え気味に走ってしまい,今日の中距離の走り方をした為だと思われる。

オリンピックも10回を数え,グランドの大きさも400mと定着してきた頃には
記録も向上し,ロサンゼルス大会(1932年)ではアメリカのW・カーが
46秒2を、更にベルリン大会(1936年)でアメリカのA・ウイリアムスは
46秒1に記録を更新した。1939年にドイツのR・ハルビッヒ,
1941年にアメリカのG・クレマーが46秒0まで記録を上げた。

戦後も記録の向上が著しく,ジャマイカのH・マッケンレーは
1948年に45秒9を,50年代前半にはマッケンレーやA・ウイント,
G・ローデンのジャマイカ勢が45秒台を連発、
1948・1952年のオリンピックを制覇し,一時代を築き上げる。が、
アメリカの黒人勢が巻き返しを図り,記録は44秒台に突入する。そして、
メキシコ大会(1968年)ではL・エバンスが43秒8で初の43秒台となった。

1976年以降は電気計時のみを公認記録とするようになった。
そして,この時のエバンスの43秒86という記録が公認第1号となった。
その後も記録は向上し,1988年にアメリカのH・レイノルズが43秒29を、
現在は,アメリカのM・ジョンソンが,1999年に43秒18の記録を打ち立てた。

そのマイケル・ジョンソンも先日引退をした。
400mの世界では今、新しいヒーローの出現を待っている。


参考文献:「陸上競技のルーツをさぐる」岡尾恵一、図書出版 文理閣,1996年

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